読者の感想 NO.9
最近、満州開拓青年義勇隊のことを検索して居ますが、先日Yahooのサイトの検索コーナーで満州開拓・まで入力したところで無意識に「エンター」キーに手が触れ、開けたサイトのトップに井筒紀久枝様のHPが表示され早速拝見させて頂きました。
普段あまりサイトを開かない私でしたが、素晴らしいHPに出会え拝見させて頂く事が出来て喜んで居ます。
「生かされて生き万緑の中に老ゆ」自分史文学大賞の受賞、又俳句、短歌、のご造詣深く詠進歌「川」での御入選の栄誉をお受けになり、皇居にて両陛下からお言葉を頂かれるなど素晴らしいご活躍の様子をお伺いさせて頂きました。
柔らかい和紙を背景に綴られた一文字一文字が井筒紀久枝様の温和で優しいお人柄が伺えます。
私達、動乱の時代に生を受け、戦禍の中で学び育ち、敗戦で希望の夢破れ、やっと平和な時代に生きることが出来ましたが、井筒紀久枝様の自分史は、史実を語る貴重な宝物と思います。
殊に戦争、敗戦と言う悲惨な出来事が再び繰り返されないことを 願って止みません。
私は去る四月十日茨城県水戸市で行なわれました「礎会・内原特別記念全国大会」に友の会会員として出席させて頂きました。今年二月オープンしました「内原町郷土史義勇隊資料館」を見学して、次に中国ハルピン郊外新香坊に建立されていた、終戦当時北部満州からの避難民、亡くなられた開拓団婦女子三千余の御霊をお祀りして居た「極楽世界」の墓碑を、訳が有って日本に持ち帰り、満州開拓青少年義勇隊発祥の地、内原訓練所河和田分所跡地に在る「日蓮宗本法寺別院」の境内に移され、その除幕法要が行われ、そこにお参り致しました。
「内原町郷土史義勇隊資料館」では六十年前の歴史の一頁が想い出され、当時を偲び、平和の有難さを痛感しました。
本法寺別院では異国の地満州で望郷の念を胸に亡くなられた多くの御霊に心からご冥福をお祈りしましたが、生きて帰国出来た幸せを噛みしめ、感涙しました。
この感激の余韻が今だ醒めやらぬ今日この頃ですが、私も齢とともにだんだんと記憶が薄れています。
しかし井筒紀久枝様の矍鑠とされたお姿に、俳句、短歌、など、文学的ご造詣の深さに深甚の敬意を表すと共に、何時までもお元気でご活躍下さいます様お祈りしています。
新谷陽子様の素晴らしいサポートに感服して居ます、井筒紀久枝様のHP「生かされて生き万緑の中に老ゆ」その他沢山ののジャンルを時間をかけてゆっくり拝読させて頂きます、有難う御座いました。
国策に沿って国の為に青春を捧げ「五族協和、王道楽土の建設」を心から願って渡満した私達の純真な気持ちが、後に植民地政策の尖兵であったことに気がついた時は大変な衝撃を受け、当事者責任を痛感しました。
再びこの過ちが繰り返されないことを祈ります。
元満州開拓青少年義勇隊 一面坡訓練所 六次 井岡中隊 社田和之(やしろだかずゆき) (昭和18年3月内原入所、同年5月渡満、昭和28年帰国。) Kazuyuki.Yashiroda
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はじめまして。満州や引き揚げ後のご苦労、読ませていただきました。
私が、あなた様のHPにたどりつき、夢中で読んだ理由は、私の祖母が満州へ渡った理由、どんな生活だったのか、・・・とにかく祖母の苦労というものを知りたくなったからです。
私の祖母も大正10年生まれです。満州で結婚し、20年6月、私の母が生まれました。私の母は父親を知りません。祖母は一人で、日本へ戻り、実家にも戻れず、家を建て、もくもくと働きました。私は生まれてから26年間祖母と同居していたのに、戦争の話はほとんど聞きませんでした。たまに、ぽつぽつと話してくれた程度です。昨年9月、祖母は静かに亡くなりました。
私の母は自分の生い立ちや、貧しかった生活をとても恥ずかしく思っていて、今でも暗い影をひきずっています。祖母へも感謝より、不満のほうが多くて、文句ばかり言っていました。私はその態度が、「命をかけて守ってくれた母に対するもの」と思うと母を責めてしまったのですが、母も子供の頃の辛い生活で積もったものがあるようで、うまく言えませんが、戦争の爪あとはまだこんな形でも残っているんだと感じました。
いまとなっては、一度も真剣におばあちゃんの昔話を聞こうとしなかった自分が悔しくて、そしてもっと優しくしてあげれば良かったと、悔やみ、少しのことで辛い辛いといっている自分の甘さを思うばかりです。
はじめてのメールでこんなこと書くのは失礼とは承知していますが、私のおばあちゃんと同じ体験をした方に、手紙を書いてしまいました。どうぞ、体に気をつけて、穏やかな毎日を送ってください。そして、戦争の恐ろしさを伝えてください。
鎌田
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前略 私は静岡市在住の大正十四年生まれの男性です。
この度、生かされて生きて万緑の中に老ゆ、を読んで感動致しましたので便りさせて頂きます。
昭和二十年二月現役兵として満州黒龍江省孫呉に入隊しました。
敗戦,ソ連抑留、ナホトカを経て舞鶴に復員しました。私達は敗れても軍隊という組織の中では、生命、食、への危険も不安もありませんでした。
それに比べ在満邦人の苦労は大変なものでしたね。赤い夕日の満州に共通の思いでをもつ私には涙が出る程に解かります。
この貴重な自分史はコピーして戦友達に回覧しようと思います
有難う御座いました。
望月 光
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私はイタリア留学をしているイタリア、フィレンツェ在住のものです。 イタリア関係のHPを検索していて、偶然この素晴らしいHPに出会いました。偶然のヒットではありましたが、 「生かされて生き万緑の 中に老ゆ」を読んで 読み終えた今、戦争のこと、自分の人生のこと、将来のこと、 いろいろと考えてしまいます。 戦争は絶対にしてはいけないこと、人の命の大切さなどを理解して、信じている私でしたが、 この「自分史」を読んでその具体的な意味 が本当に分かった気がします。小学校、中学校、高校で 習った教科書に書いてある戦争は事実関係が主だったので、今になって本当の 「人の命の大切さ」を理解し、今の平和への有難さを しみじみ感じされられました。 私が夜中になっても、目を真っ赤にしてPCに向かい、 「自分史」を読み続けたので、隣にいたイタリア人の彼氏 は驚いてました。彼はヨーロッパの戦争歴史に詳しく、よくお互いの第二次世界大戦のころの話をします。 彼に、この壮絶なお話を英語で語り、彼も大変 驚き、そして感動していました。命の大切さは世界共通です。 海外に住んでいる私ですが、だからこそ、日本の歴史、 戦争、文化、言葉をきちんと理解し、きちんと 説明できる人でありたいと、このHPを読んで改めて思いました。 これからも、お体をお大事に、いつまでも元気でいらしてください。 私も海外で少しでも日本の戦争をいろいろな外人に伝えていけたらと思っています。 古川 恵己 |