読者の感想 NO.6

大学で芝居をしています。中川真希といいます。

六月の公演で「花いちもんめ」というおしばいをすることになり、このホームページを見させていただきました。満州にわたり敗戦を迎え命からがら日本にもどってきたという母親の一人芝居です。自分の体験したことのない世界ですがいろいろなお話を参考にして演じきりたいと思います。

 
今日満州国国歌のさわりを練習しました。色々な方の自伝的小説や日記などを読み、その話の悲惨さや重さをひしひしと感じています。戦争を知らない私達がこの重さを受け止めきれるかまだ不安ですが、私の中には確実にこの話を受け継いでいく責任のようなものが芽生えはじめています。
 
お話を聞きに行けないかわりに、ホームページに掲載していた自伝をプリントアウトしコピーをして皆に配りました。それを読んで沢山の人はショックを受けたようです。私も旅費を出してくれた中国人の方や、ゆで卵をくれたというくだりでは電車の中にもかかわらず涙してしまいました。

 

                             中川真希

 

★初めまして、74歳になる杉岡と申します。
 
「生かされて生き万緑の中に老ゆ」を読ませて頂きました。
 
感動しました。
書いてある事柄が、ある程度想像できる年代だからかも知れませんが、特に<満州開拓団>以降のくだりでは、老眼鏡をはずして涙を抑えなければならないほどでした。
 
大変なご体験をなされたのですね。それが具体的に、体当たりな文章で綴られているので、生きてゆこうとする貴女の強い意思が伝わってくるようで胸が一杯になりました。
 
それに較べると私の場合は、戦時中といっても昭和20年3月10日の東京大空襲を学徒勤労動員のさなかに体験したくらいで、それを含めて、現在までにしてきたこと(遊んできたこと)と共に、自分史としてWEBに公開しております。比較するのもおこがましいのですが、貴女様の自分史を拝見して、これこそが自分史という名に相応しいものだと痛感させられました。
 
ほんとに有難うございました。お写真を拝見するとまだまだお若いご様子なので、これからのご活躍を期待しております。
 
   杉岡 満良     http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/ 
★こんにちは、ドイツ在住のものです。
 ある方のHPで紹介されているのを拝見し、
 御サイトに寄らせていただきました。

 現在31歳で戦争とは無縁の生活をしてきましたので、
 こういったサイトで当時のすさまじさを拝読するたびに
 なんともいえない気持ちに襲われ、言葉にならなくなります。

 当時に比べれば天と地の差以上に恵まれているはずの
 現在の生活にさえ不満を持ちながら生活している自分を
 恥ずかしく思いました。

 数年前に同じ年の友人を病気で亡くした時も
 五体満足の自分に感謝しなければ、と思いましたが、
 今も同じような気持ちでいっぱいです。

 思い出すのが辛いこともありましたでしょうに、貴重な体験を
 お話いただきまして有り難うございました。
 多くの方にこのサイトを紹介させていただこうと思います。

                               匿名希望


『生かされて生き万緑に老ゆ』を読み終えて、新谷様のお母上様にどのような感想を述べようかと思案しておりました。

一言で述べますとお母上の今に至る人生は,親鸞聖人の言われた「弥陀の誓願、不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐる」という、浄土門(往生浄土門)に至る道のりではなかったかと思います。なぜこのように思ったかと申しますと,それは最後の章の以下を読み、お母上は現在、弥陀、釈迦の大慈悲心に照らされた境涯に辿り着いておられると感じ入りました。
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それでも、年金生活に甘んじ、市バスの敬老乗車証をいただいている私は、何かをして少しでも世の中へお返ししたい。そこで、去年まで町内百戸余りが毎日当番でやっていた公園掃除を、私に任せていただくことにした。毎朝、夜明け前に起き出て、人の寝ているうちに公園を一巡して、ゴミを拾い伸びた草を引く。

三十分ほどで終わるときもあるが、四、五十分もかかるときもある。東の空を真っ赤に染めて陽が昇るころ、きれいになった公園に満足して戻って来る。

そして、自分の写したみ仏に、今朝も公園掃除をさせていただけたことを感謝し、一日の無事をお祈りする。お祈りしながら、私にはもう一つ夢がある。それは、私自身をも含めて高齢化社会になっている今日、わが家を町内の「老人いこいの場」に開放したいことである。

  生かされて生き万緑の中に老ゆ
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お母上様以外にも過酷な人生を歩まれたかたは、戦前、戦中の日本の歩みを想像するとまだまだおられますが、その結果、お母上様のような境地に辿り着くかたとなると、これは少数でないかと思います。

お若い頃から俳句に親しまれて、自己と万物を凝視される目が備わっておられたということもあろうかと思いますが、なかなか人間、過酷な労苦を体験したからといって、この境地には至りません。私は敗戦後すぐに父親を肺結核で亡くし、小学校に上がる前から三年生の終わり頃までは病的なほど癇癪持ちの叔父の折檻を受けて育ちました。今日言うところの児童虐待です。その後は養護施設に一年間預けられた末に母子家庭という形で母と暮らしましたが、こころひねくれたまま、母親が亡くなる寸前まで母を母と感じない生き方をしました。通夜の折りはだれをも棺(ひつぎ)に寄せ付けず、母との和解の号泣をしてことはいまも鮮明な記憶です。「もう一度母を選ぶ機会があれば、ぼくはあなたを母に選ぶと」。

お母上様の文章の中に、
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私はいつもしくしくしながら、叱られないように気をつかって、妹が眠ると、テゴ(藁で編んだ籠)を持って裏山へ杉葉を拾いに行ったり、家の周りの草むしりをしていた。だが、誰からも認めてはもらえなかった。父に抱かれたり負われたりしてもらえる筈はなく、せめて、夜になってからでも、母に抱きしめてもらいたかった。
【中略】
祖母の草鞋の足音が聞こえると嬉しかった。訴えたいものが込み上げてきて、それが訴えられなくて、胸の奥がキューンと痛んだ。抱きしめて欲しかった。祖母が来たからといって、一緒に家の中へ入って行かなかった。
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と二箇所「抱きしめて……」という表現がでていますが、私も母から抱きしめられた覚えはありません。

ただここから先がお母上様と私との人間の違いでしょうか。お母上様はその後お書きのように戦争花嫁として志願(自暴自棄)され、好きな男性でもなかった人と満州開拓団の一員として大陸に渡られました。過酷な土地での開拓は大変な苦労でありましたが、それでも当初は戦勝国気分でおれたのですが、敗戦国となってからの引き揚げまでの、人としての尊厳など考えるだけでも贅沢な生死をかけた逃避行、やっと辿り着いた途端にそれまでの生きる張りともされていたお子様にも亡くなられ、そのうえ妻への愛情の欠片さえない夫、嫁よりも家財道具のほうが大切とばかりの舅との暮らしも破綻。まるでいじめ抜かれ、苦労するために生まれて来られたような前半生でした。

私ならとっくに自殺していたかもしれません。お母上様の精神の強靱さと叡智に頭がさがります。もちろんお母上は無自覚であったかもしれませんが、お母上の人生そのものが弥陀、釈迦の大慈悲心に選ばれての、あるいは庇護されての仏道修行の道であったかもしれません。優れた句をお作りになるお母上に仏はそっと慈悲の手を差し伸べておられたのかもしれません。お母上にしてみれば、ただただひたすらに生きてきただけだったかもしれませんが、その生きてきた記録が『生かされて生き万緑に老ゆ』に結実、多くの人々に深い感銘を与えたのですから、それは仏教で説く往相即還相、往相とはひたすら前進すること、還相とはその後ろ姿に人々は菩薩を見ること、お母上のいまのお姿は、「毎日当番でやっていた公園掃除を、私に任せていただくことにした。」とあるように、無償の行為を発露されておられます。これは還相の菩薩そのものです。なかなか人はこうはなれないものです。

私の場合は亡き父が慶應義塾を出ていましたので、夜空の星に父を探しては涙し、このことが自分の生存への思索に繋がり、哲学書や宗教書、人生論を読みあさり、大学にはとくに行きたくもなかったのですが、父の出た大学の門は潜りたいという気持ちがとにかく生きる思いを支えてくれました。そしてぼちぼちと小説を創作したりしているうちによき文学仲間にも恵まれました。

戦争体験記はたまに読むことはありましたが、お母上の作品はやはり俳句をおやりのせいか、文学性がひじょうに高いです。もしお母さんのご了解が得られるようでしたら「季刊 新世紀」に一挙掲載させていただきたいですね。こうした内容の作品は、まだまだ大勢の読者に読んで貰いたいです。

とはいえ「季刊 新世紀」は300部の発刊で、このうち三分の一以上は全国の商業新聞や総合文芸誌の編集部へ三冊ずつ寄贈するというまるでボランティア誌のようなもので、一般読者の手には渡らないのですが。

夏季号は9月発刊ですが、この折りには『生かされて生き万緑に老ゆ』を掲載させてもらいたいものです。万緑に老ゆ、いい表現です。
おそらく浄土門に立った人でないと生まれない感慨です。

いいものを読ませていただき、ありがとうございます。ときおり思い起こしては私の人生の指針と心得ておきます。

末尾になりましたが、お母上様、心身ご自愛の上、末永くお孫様たちの成長を楽しまれますことを祈念しております。
                         

                            片倉啓文
 平成太郎の舘

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