(NO.1) 

★ すばらしいホームページができました。とてもにこやかなおかあさんの笑顔が印象的でした。とても大きな字で、そして、バックの色も落ち着いていて、ゆっくり読むことができます。

ほんとうは、大陸侵略の尖兵として、しかし、疑うことなく、希望に満ちて、貧しい暮らしの日本を出た一人の女性の、厳しく、苦しかった歩みが綴られています。

 しかも、いまだに、戦争も、人殺しも、環境破壊もなくなっていない今の時代に、人を殺し、平和の大切さを知らない若い人々への80歳の婦人が残すメッセージとして、思いの丈が伝わってきます。                                  

                                斎藤 武夫

★井筒様、新谷様、ありがとうございます。
 井筒さんの自分史『生かされて生き万緑の中に老ゆ』をさまざまな感慨を抱きながら読ませていただきました。

 いわゆる「大陸の花嫁」がいったい何人いたのか、その詳しい数字は現在の研究では分かっていないようです。しかし、開拓団の在籍者が27万人いたことから考えますと、少なくとも万の単位で存在したのではないかと思われます。井筒さんのように体験記を残された方もいらっしゃいますし、語ることなく鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。残念なことに後者のほうが多いでしょう。

 イギリスには戦場体験を聞き取り、整理・保存・公開する公的施設があります。同種の施設は他の国にもあるでしょうが、日本にないことははっきりしています。こうした状況において、たとえば平和運動に取り組む有志たちが戦争体験を掘り起こし、保存していく活動を手弁当でやってはいるものの、とても何百万人という単位での体験を聞き取ることは不可能ですし、わずかながらに聞き取った体験も、体系的な整理ができていないのが現状です。そうしたなか、戦争体験者は一人また一人と音もなく去っていってしまうのです。

 しかし、井筒さんの自分史を中心とするこのWEBサイトは、こうした状況を打開する一つの方向として注目に値します。これも新谷さんのような素晴らしい娘さまがいらっしゃればこそでしょう。このWEBサイトを手本にして、このような「庶民の戦争」を語り継ぐWEBサイトが澎湃として設立されていくことを願います。

 それにしても。いわゆる「大陸の花嫁」がもてはやされ、その募集が盛んになったのは1938年のころ、「開拓団」という名の国策移民が実施された1932年から6年後のことです。井筒さんが、それまでの苦難多き人生に一つの“ケリ”をつけるために「満州」に渡ったのは1943年、「大陸の花嫁」の歴史という観点から見ますと、比較的後期のことであります。その井筒さんにして今年で80歳です。

 戦争体験者は減りつづけいきます。もちろん、そうでなければなりません。私が戦争体験の聞き取り、特に元軍人の戦場体験の聞き取りをライフワークにしているのも、新たな戦争体験者を生み出さないためのささやかな行いなのですから。

 自らの戦争体験を語ることには辛いこともあると思います。先日、京都にお住まいの元兵士に取材を申し込みました。しかし、断られました。2年前、ある新聞社の取材に応えた直後、不眠・頭痛・嘔吐などの症状に襲われ、数ヶ月の入院、一時は死線をさまよったといいます。「もう昔のことは思い出したくない」と、電話に出た連れ合いの方が流暢な京都弁で代弁されました。(その新聞記事で彼は、「戦争を知らない世代が体験者をばかにすることさえある。風化とはおそろしい」と述べています。
『朝日』98年4月5日)。

 そうなのだろう、と思います。戦場の「狂気」――しかしその「狂気」は用意されたものなのですが――に染まり、数々の加害行為を行った数十年前の自分。日本に帰ってきて平和な暮らしを営みながらも、繰り返し思い出すその場面。

 その後しばらくして、この方は取材に応じてくださいました。戦場の真実を語り継いでおきたいというその一心で。

 井筒さんの心中にも同じ感慨があるのだろうと察します。戦争体験のない私たちは、好戦的な言動の増えている昨今、ややもするとそうした言動への警戒感をなくしてしまいがちです。どうぞ井筒さんにおかれましては、くれぐれもご健康を第一にして、そして自らの戦争体験を私たちに語り継いでいってほしいと思います。
                     季刊『中帰連』編集委員 熊谷伸一郎

★ お母さまのご苦労された人生が文章の中にあふれているように感じました。戦争時代の満州でのご苦労など、体験された方でなければわからないことが述べられています。

 ぜひ多くの方に読んでほしいと思います。特に今の若い人に読んでほしいですね。多くの戦争体験者の方に戦争のことを語っていただき記録を残していかなければとおもいます。

”お身体ご自愛ください。そして作品を多く発表してください。”とお母さまにお伝えください。

                     私設文庫館 太平洋戦争編
           HP http://www4.freeweb.ne.jp/novel/m-take/
                                管理人 松浦 武

★ 戦争で我慢を強いられるのは、いつの時代も女性なのですね。もちろん、前線で戦っている将兵を忘れてはいけませんが。

 お母様のお写真拝見しました。
 80歳とは思えぬ、若々しさが伝わってきます。
 まだまだ、長生きをされて、貴重な戦争体験を後世に伝えてください。
 
 日本経済の現状を見ていると、ガダルカナル戦と似たような事をやっているように思えてなりません。
 ミッドウェー海戦は、バブル崩壊に例えられると考えています。
 政治家の人たちが悪いとマスコミは言ってますが、国民が政治に無関心(または無知。戦後教育の弊害)だから、好き勝手な事をしてしまうのでしょうね。上手く教育したものです。
 でもこれからは、情報源は教科書だけではありませんよ。
 これも、戦後の占領政策(世界の脅威とならないように・・・)が現れているのかなと思います。
 もう、戦後半世紀を過ぎたのだし、キッパリと「意思表示が出来る日本」になってもらいたいものです。
 「国のため」とか言うと、世の人々は嘲笑します。
 国旗や国歌も、法律で決めないといけないような国ですから情けない。
 日本人としての誇りもありゃしない。偏った戦後教育の影響でしょう。

 教育の成果が現れるのには、30年以上もかかるのです。
 今から、まともな教育をしても、そんな先に結果が現れる。
 それまで、日本という国が存在しているのか・・・・・不安ですね。
          
                                      カーヤ
★引き揚げの悲惨さは、本などを通して学んではいましたが、実際にこのような経験をされた方自身のものを読んだのは初めてで、胸がしめつけられました。

 そして、是非、井筒様の記録を多くの子育て中の親達に読んでほしいと強く思いました。戦争を知っている世代の方々が少なくなってきている今、戦争の悲惨さを、平和の大切さを考えながら、子育てしてほしいと思いました。

 私はアメリカ留学中にアメリカ人の夫と知り合い結婚しました。夫は、随分以前に海兵隊におりましたが知り合ったときは、既に軍とは縁のない人間でした。ところが、結婚してすぐの10年前、ちょうど長男の妊娠中に湾岸戦争が勃発し、夫も補填兵として明日にも徴兵されるかもしれないということになりました。

 平和な国で生まれ、戦争とは全く関係のない人生を送ってきたのに、なぜアメリカぐんだりまで来て、夫を戦地に送るような経験をしなければならないのか、と正に晴天の霹靂、信じられない思いでした。

 徴兵の紙が郵送されたら、24時間以内に頭を丸刈りにして出かけなければいけないということで、毎日、郵便受けを開ける手がふるえました。これが、よく日本でテレビで見ていた赤紙を受け取る母や妻の気持ちかと身にしみて思ったものです。そして、このような思いを2度としたくない。戦争の悲惨さ、平和の大切さを多くの人に知ってほしいと切に思うようになりました。

 結局、幸いにも夫は徴兵されることはなかったのですが、戦争の一部を(本当に触りの部分にも当たらないかもしれませんが)垣間見た事件でした。

 当時、日本は、湾岸戦争に対しても、まさに対岸の火事を見るがごとくで、まったく危機感もない姿勢が国際的非難を浴びました。

 その頃から、私は、日本の子育て中の方々に、是非、おじいちゃんおばあちゃん、親達から聞いた戦争の話しを語り告いでほしいと思いはじめました。その頃はインターネットは、全然普及しておりませんでしたので、日本の友人と子育て中の母親に向けて、小冊子を出していましたが、そこで、「おじいちゃん、おばあちゃん、または親達から聞いた戦争体験」を募集しましたが、実際に戦争体験を語る方々が周りにあまりいないのか、数話の聞きかじり程度のものが集まったのみで終わってしまいました。

 非常に残念でしたが、私自身も、祖父母や両親から聞いた話はたかが知れており、また聞きたくても既に亡くなっている方も多く、それ以上、話しを集める術も知りませんでした。

 しかしながら、インターネット時代の到来で、このようにご高齢の方が(失礼ながら)ご自身の経験を綴られておられる方がいることを知り、改めて、もう一度、この課題に取り組んでみようと思いだしました。

 現在、私のHPには海外邦人、日本に住む日本の方など、毎日1000人以上の方が、いらしてくださっています。多くの方に戦争に対する危機感を持ち、子ども達に平和のありがたさを教えてほしいと思います。それには、やはり心を打つ真実のストーリーが一番だと思います。 

 戦争体験関係のインターネットサイト今回、これを機会にいろいろと見つけましたが、女性の目で見たものは、こちらのもののみでした。

 男性の書かれたものにもたくさんの悲惨が書かれていましたが、新谷様のお母様のものは、同じ子どもを持つ母親として、そして戦争に巻きこまれれば完全に弱い立場の女性として、身につまされるものがありました。現在も、世界のどこかで戦争や紛争が起こり、女性や子ども罪のない多くの人達が犠牲になっていると思うとやりきれない気持ちになります。

 今日、朝めざめて、暖かい布団の中で目覚められたことを、一番に感謝しました。(昨夜寝る前にお母様の体験記を読んだもので。)

 私は、台湾で日本語教師をしていたことがあるのですが、台湾の内省人は日本人に非常に好意的でしたが、外省人と呼ばれる大陸から来た人々は、日本人を嫌っていました。また、教師仲間に将校の妻として大陸に渡り、命からがら生き延びたという日本人の老婦人がおりましたが彼女は、戦争が起きてみると今までニコニコしていた日本人は手のひらを返したように冷たく、結局最後に助けてくれたのは中国人だった、と休み時間の時に話していたことがあり、なぜか心に残っております。

                    「世界子育てネットSweetHeart」
                          http://www.sweetnet.com/

                                     村松由美子

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