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これは後世に「あの悲惨な戦争」を語り継ぎ、平和を願う
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                                                  2019 .8.23 更新

izupic.jpg (3148 バイト)<井筒紀久枝 プロフィール>  

大正10年(1921年)福井県今立町に生まれる。尋常小学校卒業と同時に製紙工場に就職、紙漉き工となる。昭和18年(1943年)、当時女子青年団に奨励されていた「大陸の花嫁」に応募し、満州(現中国東北部)へと渡るが、敗戦、戦後の混乱に巻き込まれ、現地で生んだ赤ん坊とともに死線をさまよう。昭和21年(1946年)母子ともに命からがら引き揚げるが帰国後も苦労が続く。 

しかし、若い頃からずっと続けていた俳句と短歌の成果がようやく現れ、昭和43年(1968年)の「宮中歌会始め」の入選の栄 に浴する。その後、これまでの苦難の人生体験を綴った作品「生かされて生き万緑の中に老ゆ」が、NHK自分史文学賞大賞を受賞。

老人福祉センター・中国残留邦人支援活動などもしばらく続けていたが、体調をくずしてからは「死に支度」として、こうしたことを文章に残しておきたく、慣れないワープロとパソコンに向かいつづけた。そして2001年夏、多くの人の励ましとご協力の中、念願の戦争体験記「大陸の花嫁」を完成。

その後も、その日その日の暮らしをほそぼそと書き綴っていたが、2015年10月、2度目の脳梗塞により永眠。

 <略 年 賦> 

<ごあいさつ>

戦後70年の2015年秋、母(井筒紀久枝)が永眠しました。最晩年の2年は老人ホームで暮らしましたが、2度目の脳梗塞で倒れ93日間の闘病の末、逝きました。享年94歳でした。

戦中戦後を生き抜き、波乱に満ちた一生でしたが、晩年は、母の一句

生かされて生き万緑の中に老ゆ

の通り、とても穏やかで幸せそうでした。そして、次の境地のような静かで安らかな旅立ちでした。

  死も良しと死をうべなへる夜長かな   紀久枝

母の死後、しばらく「語り継ぎ部活動」から遠ざかっていましたが、再開した矢先、今度は私自身が病に臥し、さらに3年の月日が流れてしまいました。

今もその後遺症に悩まされていますが、病を得たことでスローライフになった私は、戦中戦後の母とその周辺の手記や俳句とゆっくり向き合うことができました。また、友人の協力により貴重な資料を集めることもでき、その数は増えつつあります。

これからは、ホームページやブログ「はっぴい俳句」をはじめ、何らかの形で残し、語り継いでていきたいと思います。

よろしくお願いします。

    
  2019年 8月 23日  新 谷 陽 子 (亜紀)

 

     ☆  この素敵なトップページと「生かされて生き万緑の中に老ゆ」の目次ページは、世界子育てネットSweetHeart 

           ☆   由美子ホーバンさんが作って下さいました。 とても見やすく作品のイメージにピッタリです。           ☆

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56年目の終戦記念日(2001年8月15日)に、母の念願どおり「大陸の花嫁」を自費出版することができ一部加筆して2004年1月岩波書店より「岩波現代文庫版」として出版していただきました。よろしかったら読んでください。 

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