読者の感想 NO.13

 はじめまして。現在、中国に住んでいる32歳の女性です。HPで自分史を拝見させて頂き、メールしました。

 私は戦争を知らずに育った世代です。学校で学びましたが、自分の中には「平和な時代に生まれて良かったな」程度の認識でした。2004年に青年海外協力隊員として中国に派遣されましたが中国で生活し、遅まきながら初めて戦争について考えるようになりました。

 中国人と、何度も歴史問題について討論しました。せざるを得ない状況になりました。みんな、私にとてもよくして下さいます。日本友人として親しく付き合って下さいます。しかし、中国で歴史問題は切っても切れない話であり片田舎で日本人と接する機会のないこの土地の人にとって、私に訴えたいことが沢山あるのでしょう。

 中国に住む日本人は、多少の差は有っても、必ずこういう場面に出くわしています。最初は泣きもしたし、日本人であることが辛いと感じたこともあります。しかし、日本人として自分があまりにも歴史に対して無関心であったことに気付きました。

 先日、中国東北の旅にでました。旧満州国の跡を観てきました。完全防寒スタイルで出掛けたにも関わらず、その寒さは今まで味わったことのないものでした。帰ってからどうしても我慢できず、色々なHPを探し、そして貴ページに出会いました。井筒先生の自分史を一気に読み上げました。涙が止まりませんでした。

 幼少時代の虐待・・大陸の花嫁・・引き揚げ・・・夢を抱いて旅立ったであろう満州での敗戦通知。その後。あの極寒の地で衣服もままならないままの越冬は、どんなに辛かったことでしょう。

 井筒先生の自分史から、色々なことを学びました。日本を祖国とする人間として、自分の国の過去を知り、受け止め伝えること。この壮絶な過去があるから今の日本があり、私たちの使命ではないか、と今考えています。

 いつも中国人に非難される度、
 「日本だって被害国だ」
 「平和を願うだけではいけないの?」
 「じゃあ私は何て言えばいいの?」 
 という考えから離れられませんでした。

 この点については、今も答えを探している最中ではありますが、真の友好を結ぶ為には、私が過去を理解しなければいけないと感じています。

 日本人として課せられた責任に気付かせて下さった中国に感謝しつつ、私は日本を理解する為に、これからも自分探しを続けていきたいと思います。そして、戦争を知らない沢山の日本の若者が、井筒先生の体験に触れ悲惨な戦争を風化させてしまうことのないように祈っています。

 長々とまとまりのない文章を書いてしまい申し訳ありませんでした。井筒先生が、今後たくさんの幸せな時間を持てることをお祈りしています。ご健康に留意され、人生をエンジョイしてください!

 本当に感動しました。勉強させて頂きました。ありがとうございました!!

                     中国 湖北省荊州市在住   匿名希望
                                

満州開拓団の祖父の詩

 初めてこちらのhpを拝見して、メールいたします。私の母方の祖父は満州の開拓団の団長として満州へ渡りました。一昨年2003年に他界いたしましたが、先日三回忌の法要があった際に、昔、祖父が満州から帰る際に残して来た、人、犬、お世話になった人への思いを書いた詩を、製本しておいたものがあり、再度読み直して、満州の事、日本の事、中国との関係などを知りたくなり、検索していたところでこちらのサイトを見つけました。

 祖父の体験した満州での出来事はあまり私たち孫のまでは伝わって来ておらず、命からがら帰って来れた事、連れて帰って来れなかった日本人への思い、助けてくれた満州の人への思いをどうかどうか孫達、ひ孫達へ伝えて欲しいとの話だけ聞かされてきて、詳しく勉強する事をせずにおりました。

 こちらのhpを見て、祖父の詩にあった事を深く理解する事が出来たり、 さらに勉強しなければと思い直させられたりと、とても感動させていただ きました。

 その旨だけお伝えしたくメールさせていただきました。おばあさまの思 いを伝えるために活動され、尊敬いたします。私も祖父の思い、日本人の思いを勉強し、正しく伝えていけるよう努力したいと思います。どうかがんばってください。

 ありがとうございました。これからの参考にさせていただきたくhp拝見させていただきます。

                                                    岩手県盛岡市 太郎

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