読者の感想 N04 戦争体験記「大陸の花嫁」について

★毎日、通勤途上で読んでいましたが、目の奥が熱くなって、鳥肌が立って来ます。通勤読書には重い本ですが、引き込まれるように読んでいます。

 今年は特に首相の8月15日靖国神社公式参拝の是非が大きく問題となり、またあたらしい歴史教科書の問題など、関心が高まったという点では良かったのかも知れませんが、議論も行動も何もかも中途半端だと思いました。

 ある国会議員がテレビで「戦争は国家と国家の問題だからどちらが悪いとか、誰に責任があるというのではなく、いつまでも過去のことにとらわれているのはおかしい。」というようなことを言っていました。

 とんでもないことを公共の電波で言うものだと感じましたが、本のなかでお母さんは、満州に行ったことはあの戦争に知らないうちに加担していた、中国人に傲慢だったということを書かれています。そして敗戦になって一気に仕返しをされて多くの人が死んでいく。それが戦争の本質だと思います。惨めで悲しく、知らないうちに加害者になって被害者となってしまう。子供にも読ませようと思います。
                     
                                    木村 悦子

★この本を紹介してくれたのは、音楽とインターネットを通じて知り合った著者の実の娘さんです。メールのやり取りの中で、80歳を過ぎた実母が自分の戦争体験を残しておきたいと、ワープロに向いはじめ、娘さんの協力でホームページまで立ちあげたことを知らされました。

 そのお母さまが今度は、8月の終戦記念日に自らの戦争体験を綴った本を発刊されたと聞き、「ぜひ読ませてください」とお願いして手にした本です。

 内容は、戦前、「大陸の花嫁」として、旧満州の開拓団の夫に嫁いだ著者が、夫の出征中に終戦を迎え、子どもを抱えて引揚げた苦難を、自分史の中で語る、というものです。満州時代に詠んだ句が所々にちりばめられており、それが当時の著者の筆舌につくせぬ思いや情景を、読む者にいっそうリアルにイメージさせます。

 私は、この本を読んで思ったことが2つあります。 

 一つは、いうまでもなく戦争の悲惨さです。著者は、「まえがき」で「阿鼻叫喚の満州から生きて帰ってきた」と表現されています。

 この本では、「人間の死」が、いくつも克明に描かれています。

 日本の敗戦を知り、満州の国民学校の校長一家が自決したときのこと。第九次十箇団の総本部長が、物資を隠匿詐取していたために殺されたときのこと。遺体の入った箱の隙間から血がしたたり落ちて、オンドルの上のアンペラを汚す。「早く朝食を済ませ、遺体の始末をしなければ」と、ためらうことなく、その血を拭き取り食事の支度をしなければならなかった著者。どんなに辛く、悲しい思いをしながら食材を切り、遺体の身体を拭いたことでしょう。 

 あるいは、ソ連兵の思いがけない乱入で、車庫や釜の中に逃げ込むが、「こんな恐ろしい目に遭うのだったら死んだほうがいい」といって、青酸カリを飲んで自殺をはかろうとしたこと。それを「どうぞ苦しまずに死ねますように」と念じる著者。

 「この子の故郷、日本に帰ろう」と果てしなく続く中国大陸を二歳になる子どもを背負って、必死で引揚げてきたにも関わらず、日本に戻ったとたんに二年半という短い生涯を閉じることになってしまったときのこと。

 「阿鼻叫喚」という言葉には、いくつもの人間の「生きたかった」という思いとそれを許さない戦争という非理性的な力が生む、想像を絶する悲惨さを憎む著者の思い込められているように思います。

 私は、戦後生まれで戦争の体験がありません。ですから、著者が表現した「阿鼻叫喚」というこの言葉を、どれくらい自分に引き寄せて受け止めることができるのか、これがとても大切だとおもいながら読みすすめていきました。

 時あたかも、米国への同時テロ事件とそれへの軍事報復が秒読み段階に。

 どんな理由をつけようとも、人が人を殺すことは正当化できるものではありません。この「大陸の花嫁」で描かれているように、いつでも、戦争の犠牲となるのは、何の罪も無い女性であり子どもたちです。

 戦争の悲惨さを二度とくり返してはならない、そのことを強く思いました。

 この本を読んで、もう一つ感じたことは、人間にとって争いごとを理性の力で乗り越えることは、理想かもしれないけれど、その追求をあきらめてはならないということです。

 日本人は、あの侵略戦争で途方もない数のアジアの人びとの命を奪いました。そして、おびただしい空襲とヒロシマとナガサキへの原爆投下で何の罪もない人々の命が奪われました。失われた一人ひとりの命には人生があり、二つと同じものがない感情を持ち合わせていたのです。

 私は、もっと、深く喜び、深く悲しみ、深く怒る、という人間の共感力、そして争いごとはお互いの十分な話しあいで解決するという理性の力を、一人ひとりの人間がつけることが、何よりも大切だと思いました。

 そのことの大切さと、人間の理性への信頼を確信させたのが、「大陸の花嫁」という著作に結実させた著者の実践であると、私は思います。

 なお、本書は、「老楽日記」(おいらく)と二本立てとなっています。こちらは、著者の最近の日常生活を書き綴ったもので、句集もあちこちにちりばめられています。最近になって日記を書き始めた私にとって、日常のことをこれだけ生き生きと書き続けられる著者の文章力に脱帽です。そして、何よりも、日記を通じて伝わってくる、活発さ、生きることの喜び、他者へのあたたかさ。ぜひ、こちらもおすすめです。
         
     矢口 雅章
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yagunet/index.html

★私は、37歳現在4歳と2歳の子供の子育て中です。戦争を知らない世代ですが、井筒さんの本が胸にしみました。

 夫の転勤で現在、引揚の地、舞鶴に住んでいるのも何かのご縁のような気がします。

 井筒さん、本当に本当に大変だったのですね。特に子供さんを必死の思いで連れて帰国されたのに残念なことになられたのは、同じくらいの子を持つ親としても大変つらいです。

 でも、戦争中〜戦後、一変した境遇の中で、いつも女性としての誇りを捨てず前向きな態度で、強い意志を持って生きておられる姿に感動しました。

 そして当時の克明な記憶、、、、本当に驚かされました。

 私は長崎出身で縁あって被爆者の方々の話を多く聞く機会があり、また微力ですが核兵器廃絶のための勉強・活動を同世代の人たちと行っています。放射能による一瞬の死もあれば、中国で蛇の生殺しのような状態で死んでいく人もあり、本当に戦争は、罪のない一般の人の命を無残に奪っていったのだと思います。

 また女性ということで、その苦しみは男性とは別として、辱めを受け屈辱の思いに耐えなくてはならなかった人のことを思うとやるせません。

 戦争体験のお話を聞いたり、読んだりするのは自分の今の日常とはあまりにもかけ離れていて、そして、やはりつらく胸が痛みますから、つい、耳をふさぎ、目を閉じたい気持ちになってしまいます。

 しかし、井筒さんの「大陸の花嫁」を読み終えたあと私は不思議なくらいエネルギーをいただきました。

 自分もこれから頑張っていこう!というような溢れるエネルギーです。

 ありがとうございました。

 井筒さんも書いておられるように、この体験は多くの人に伝え語られていかなくてはいけないと思います。

 戦争の歴史観は人によっても、国によっても異なっていますが戦争体験者の体験談・当時の思いは、万人が共通して分かち合うべきものだと思います。

 そして、次の世代に引き継いでいかなくてはいけないと思いますし、自分の世代にはその使命があると思います。えらそうに書きましたが、これから子供を育てる上で、井筒さんの思いをせめて、自分の子供にしっかり引き継ぎたいと思います。

 本当にありがとうございました。

                             鵜飼 由加里

★私の祖母も4人の子供を連れて満州から引き揚げてきた人でした。祖父はシベリアへ行ったそうです。

 その時私の母はまだ乳飲み子だったおかげで、なんとか帰国することができましたが、一つ上のお兄さんはやはり栄養失調で途中亡くなったと聞いています。

 祖父も祖母もすでに亡くなっていますが、私には一度も戦争の話しをしてくれたことは有りませんでした。

 きっと思い出したくなかったのでしょう。

 母も詳しくは聞いたことがないそうですが、帰国後の貧乏生活は自分でもよく覚
えているらしく今年の春、母親になったばかりの私に、涙を流しながら話してくれました。

 井筒さんの体験記を読んで、私の祖母がこんなにも辛い思いをしたと初めて知りました。

 何も知らなかったことを悔いてやみません。

 改めて、無知とは罪なことだと痛感致しました。

 戦時中の体験など、いまさら思い出したくもないし、ましてや活字に起こすなんてもってのほか、と思っていらっしゃる方がほとんどでしょう。

 それでもこうして改めて活字にして私達に伝えてくださった井筒さんの勇気に本当に感謝致します。

 ただ、日本軍が中国人にどんな残虐行為を行ったのか、具体的に書かれていな
かったことは残念に思います。

 かつて日本兵が各地で残虐な行為を行い、中国人や韓国人がいまだ癒されない心を持っていることは私達若い世代でも知っています。

 でも実際どんな行為を行ったのかは全く想像できません。

 だから中国人や韓国人に対し敬意を払って接することができないのです。

 若い日本人観光客や旅行者は、いまだに中国などで偉そうな態度で振る舞っていると聞きます。とても恥ずかしく思います。

 私達のように戦争を知らない世代が、再び同じ過ちを犯さないためにもアジアに
対し行ってきた日本兵の残虐行為を、井筒さんのような勇気のある方に教えていただき、自分がそのような歴史を持つ日本人で有るということを自覚して、世界の人々と接していきたいと思います。

 どうかよろしくお願い致します。
                             柳澤 千代子

★本日丁寧に包装され送っていただいた、大陸の花嫁と老楽日記を深い感動をもっていま読み終えました。 読後感をとても一言で尽くせませんが、よくぞ生き地獄から生還されたと思います。 沢山の方々が満州で殺されまた自決されました。病死飢え死にされました。それらの方々はいま声をあげる事はできません。日本女性史で最大の悲劇といわれます。その無念を井筒様が書き残されたのだと思います。執念を感じます。

 敗戦から1年あまりも風呂にも入らず着の身着のままの逃避行、なんども死線をくぐり2歳のお嬢様を父親に会わせたい一心だった とか。それもかなわずいま写経に癒される。残念だったと思います。 感情過多にならず事実に忠実に確かな筆力で貴重な記録をまとめ られたことを後の世代として感謝します。プライバシーへの配慮も苦労されています。

 皇国は誤った国策、教育で中国人や朝鮮人を蔑視迫害しました。その被害の大きさにくらべれば、いまかの国の方々は日本に寛容だと思います。自分が生きるに精一杯の極限状態にあっても、垣間見る他人への優しさ、気づかい。集団をまとめるリーダーのあり方などビジネスの世界でも学ぶことは多いです。 宮尾登美子さんの著書にも通じるところはあります。戦前は女性差別が極端でした。自覚した女性たちの記されない無数の戦いがあって今の女性の輝きがあるのだと思います。

 私は長崎生まれ、鹿児島育ち。両親から原爆の話を聞いて育ちました。家内の父母が満州引き揚げです。同じような苦労をしたと思いますが私はあまり聞いていません。

 署名いただいた2冊のご著書を本棚に飾りこれからも折にふれて読み継ぎたいと思います。戦争の傷跡をひきずった我々の世代からなにもしらない次の世代に社会の担い手が移りつつあります。

 ところで井筒様から見て、いまの日本はいい方向に進んでいますか。危惧する ところです。早く健康を回復され執筆や句作を続けられますようお祈りします。

         吉永 勇   
http://homepage2.nifty.com/isamuyoshinaga/
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