読者の感想 NO.14    

母との共同作業で、ホームページを開設してから、読者のみなさんから、いろいろな感想や励ましのメールをいただきました。

 これまで書物として発行してきた母の作品については、同じような体験をもつ、母と同年配の方々のお便りが多かったのですが、こうしてホームページで公表してみて、初めて若い世代の人たちからの反響があり、随分励みになっています。また、インターネット世界の無限のひろがりに、深く感謝しています。

 毎回更新時に、読者から送られた感想メールの中から、私たちの印象に残ったものを数編選び、ご本人の承諾を得て紹介させていただいています。母の著書「大陸の花嫁」の感想も含まれています。 これからもぜひ、ご感想・ご意見などお寄せ下さい。

   453room@balloon.ne.jp            HP担当 新谷 陽子

 

 何度か体験談を拝読しております。最初は、新京桜木小学校の同窓会誌で拝見いたしました。同じような環境を通り抜けてきたものとして、申し上げる言葉もございません。ただただ、そのご体験を後世に語り伝えて戴くようにお願いいたします。

 小生は、昭和3年1月5日生まれ、終戦時には満17歳、大工業地帯である大連甘井子地区にいました。

 紀久枝様との接点は、いくつかございますが、最も気になる点は、「坂根先生」の記憶と重なることです。新京桜木小学校に在学していた3年間、担任ではありませんでしたが、坂根先生には多くの想い出がございます。特に、三年生の頃、坂根先生は女子生徒のクラスの担任でした。小生らは、男女共学のクラスでしたので、坂根先生から、合同の授業を何度か受ける機会がありました。男女共学のクラスというのは、気の強い女の子たちとおとなしい男の子たちの混合クラスで、今から考えると、先生方もほんとに見る眼があったのだなという感じがします。坂根先生は、極めて右翼的で、生徒たちの間では、ものすごく怖い先生として通っておりましたが、一方、大変人気の高い先生でした。その理由は、お話が大変上手だったのです。合同の授業といっても、なにか授業をなさるというのではなくて、怪盗ルパンだとか、怪人二十面相だとか、血湧き肉踊るストーリーが多かったのです。いまでも、黒板の前で身振りを交えて、緊迫したドラマをお話になる先生のお姿が眼に浮かびます。「このピストルは、どんなものでも貫くのだぞ」・・・・・など、教壇の上で、ピストルを構える格好をなさるのです。みんな、息を呑んでお話に聞き入ったものです。先生の追悼碑を建設するということで、桜木の同窓生の「岡本三和子」さんらが奔走され、小生も賛同しました。先生とご一家の悲運に胸の潰れる思いがしたのです。

 また、お便りします。では、お元気で・・・・・ 

    早々
                安良城勝也(あらき かつや)・閑古鳥幻聴 
 
                     URL: http://www.geocities.jp/vickedgarapoehegel/ 

 

初めまして。
私は大阪に住む永井と申します。

私の母は満州の安東で生まれて終戦後佐賀に行きそこで私の父と結婚し大阪に越してきたようです。

というのも私の母も父もあまり出生の事を語ろうとせず、また私もあまり聞けない中今にいたっています。

満州での生活を、特に引き揚げの苦労を読ませて頂きましたが、私の祖母も同じような苦労があったんだろうなと思うと、自分がこの世に生まれて来たのは何かの意志ではないのかとおもってしまいました。

私はようやく30代にさしかかろうとする若輩者です。戦争の事は資料でしか知りません。しかし、このような手記がネットの中でいつまでも残っていく事によって後世の人にそのような事実があったことを知らせ残していく事の重要性を感じます。

いつまでもお元気で私たちに当時の生活や苦労をご教示いただければ幸いです。

最後になりましたが乱文をお許しください。

では、失礼します。

Ken Nagai (CRAFT ONE)
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