読者の感想 NO.5

★終戦時の、開拓団が置かれた状況に身の震える思いがしました。

 以前、宮尾登美子さんの「赤い雪」を読んで、終戦時の開拓団の様子を承知していましたが、それ以上のすさまじい状況だったことがわかりました。

 幼い子を連れ、生きて帰って来られたことは奇蹟としか言いようがないと思います。又生い立ちから渡満までの家庭環境、戦後の生活環境など胸が痛みます。

 
私も北朝鮮の羅津という街で終戦を迎えました。ロシアとの国境から30キロくらいの所です。中学2年生でした。

 殆どの家庭で大黒柱の男を兵隊にとられ、女と子供と年寄りだけの集団が、山の中を6日間逃げ惑い、大勢の犠牲者を出しました。それでも私たちは、満鉄と言う大きなグループの中にいて、開拓団の人達とは比較にならない程恵まれていたと思います。

 私たちは満州の撫順で難民生活を送りましたが、相当冷え込む10月頃まで開拓団の人達がバラバラと歩いて撫順の街にたどり着きました。一様にマータイを身にまとい、身も心もボロボロといった様子でした。年寄りや子供は全く見かけませんでした。

 私たちは身をもって戦争の悲惨さを体験しました。戦争は弱い者が犠牲になる。2度と起こしてはならないと改めて痛感しました。

 著者の逆境にも負けない強い生命力に頭が下がる思いです。                 

                                  福地 孝

 

★初めまして、私は、現在30歳、3歳と1歳の子供をアメリカで育てております。

 私の母からも、満州からの引き上げの話を小さい頃より聞いております。しか し、母は、その時分小さく、強烈な事柄故覚えているだけで、詳しくは覚えてお らず、今は痴呆となった祖母はおそらく、井筒さんと同じ様な体験をされたのだろうと想像されます。祖母からはもっともっと色々な話を聞いてみたかったと常々思っておりました。ただ、今ぼけてなくても、話してくれたかどうかは分かりませんが。

 子供が昼寝をしてくれて、一気に読んでしまいました。

 とても、色々なことを感じ、考えさせられました。
 今は、夫婦で必死で子育てをしております。色々なことに悩む日々です。しかし、すごく頑張ろうと言う気持ちになりました。ここに来て、私もたくさんの方たちに出会い、支えられ何とか生活しております。改めて感謝の気持ちがわいてきました。

 主人にもこのページのことを教えようと思います。思い出したくないこともおありだったでしょうが、こうして、私たち世代にも話をしてくれたことに感謝します。
 ありがとうございました。どうぞ、お体をご自愛下さい。

                               匿名希望
★あなた様のホームページを紹介されて、一気に読ましていただきました。私は、昭和17年ハルピンで生まれました。父は大正3年生まれ、満鉄の職員でした。母は大正7年生まれ、お見合い写真1枚で佐賀の田舎から結婚のためハルピンへ行ったようです。昭和21年秋コロ島経由で引き揚げてきました。

 引き揚げの苦労や、引き揚げてからの生活難もゆっくり話を聞きたくとも、両親ともすでに他界しましたので、残念ながら聞くこともできません。

 昨年秋、ハルピンを訪れました。父母が新婚時代を過ごし、私と弟が生まれたところがどんなところなのか?

 断片的に聞きかじったわずかのよすがを頼りに行きましたが、幼すぎたため意識は現代中国の人々の「今」にばかり向いてしまいました。

 あなた様のホームページは私のように、「満州」にずっとこだわりを持ち続けているものに大変貴重な宝です。ご苦労のほどが偲ばれました。ありがとうございました。

 短歌、俳句とすばらしい作品にも感激いたしました。

私も10年間ほど残留孤児、邦人の帰国後の自立援助のお手伝いをさせていたきました。

 どうぞお体お大事にお過ごし下さいませ。

石 橋  澄 子http://www.ne.jp/asahi/homepage/sumi/top.index.html

★「意見感想をお待ちしています」とのことなので、紀久枝おばあちゃんへの励ましとなればと思い感想を書いてみました。

 きのう、和紙の手漉きを体験をし、「とろろ葵」をネット検索していたところ「大陸の花嫁」に出会いました。

 「私は自分の父を知らない」に続く数行に驚き、最終章「生かされて」でショックを受けるとともに感動しました。どうしてここまで自分をさらけ出すんだろう、出せるんだろう。これは自分史ではなく小説なのではないかと疑ってしまいます。

 もちろん事実であり自分史であることに違いないのでしょうが、あまりにも内容が水上勉氏の「弥陀の舞」に似ているのに驚いています。最後まで読み終えて水上氏が井筒さんのことを書いたのではないだろうかとさえ思っています。

 「...は小説よりも奇なり」といいますが、本当にそのとおりだなあと思いました。小説なら読まなかったでしょう。自分史、事実だから、本人の生の語りだからこそ引き込まれてしまったのでしょう。

 紀久枝おばあちゃんのように大変.ご苦労をされてきた方でも、自分の親とはい
え老人の介護はたいへんなものでしょうね。紀久枝おばあちゃんが「夢」を叶えて、お母さんよりも長生きできますようお祈り申し上げます。 合掌                          

                               中田 松義

 

★80才になられた今もお元気で、そして実の娘サンが(戦後にお生まれになったのでしょうか?)元気に今もお母様に寄り添って生きておられることがわかり、”人生かくありたし”というのが私の今の正直な感想です。

 何があっても生きて我が子を守りぬき抱きしめて祖国日本へ戻られたお母様の芯の強さ、思いの強さ、そして生命力に感嘆します。

 私自身は、現在フルタイムの仕事をしながら、4歳と1歳の息子達を保育園に預け、日々元気に暮らしております。子育ても仕事も自分の人生そのものと思っておりますので、つらいとか逃げたいなどとは思いませんが、それにしても毎日のめまぐるしさと言ったら、娘気分の抜けきれなかった20代ではとうてい想像もつかないものでした。

 今の時代は確かに戦争は身近ではありませんが、ひきこもり問題は間近で起こり、また凶悪無差別犯罪などが頻繁に起こる等、決して生き易い時代ではありません。乳幼児期に親に守られることで安心感を体で覚えるという当たり前のことを経験できないまま、自立を孤立と間違えて、自分の殻に閉じこもってしまうのでしょうか。答は見つかりません。

 井筒様、愛を教えてくださってありがとうございました。それから、長い人生をいつか振り返ることができる日まで、我が子を愛し、一緒に生きる人々を愛することを当たり前として生きたいと感じています。何が子供のために良いか、悪いかではなく、単純に”愛する”こと。それしか今の私にできることはないようです。

 さあ、明日も早起きしてごはん作って元気に家族で出発します。そして笑顔でまた家に帰ります。

 もう一度、ありがとうございました。

                     匿名希望 「おひさま大好きっこ」
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