桂川西ひがし 三十一句

 

緑陰や 信じて人に 蹤いてゆく 

屋根裏に 巣喰ふて燕 子を産みぬ

家建つや 田んぼは夜も 稲育つ

退社後は 子が待つ母よ 遠蛙

霜幾夜 夫婦ふたつの 顔の距離

沈丁花 子に訓されて 夫へ和す

 

★ そのうち、同郷出身である現在の夫と再婚して京都に住むことになったのです。

  最初は屋根裏のような、二階の間借生活をしていましたが、二人の子供達の誕生を機に小さいながらも我が家を建てました。そうした十年余りの間、育児や家事、それに内職の和裁に負い回されて俳句を作ることなど思いもよらず、読書すら満足にできませんでした。

  けれども、昭和四十三年歌会始めの御題「川」に、ふと故郷を詠んでみたくなり数首を作りました。その中から当時小学六年生だった長男に選ばせたものを詠進したところ、奇しくも入選の栄に浴したのです。

  その頃は、私自身もつとめを持つようになり、成長していく子供達の為にと、ローンを利用して家を購いました。

  桂川をはさんで東岸から西岸へ移ったのです。当時はまだ桂川にかかった久世橋の上から、旧盆八月十六日の大文字送り火を燃えつきるまで眺めることができましたし、京都タワーや桃山城も眺望できました。けれども、現在は立ち並ぶ高層住宅に視界をさえぎられてしまいました。また、毎年八月三十日には無形文化財に指定されている久世の六斉念仏がすぐ近くで賑やかに行なわれます。

 

退勤や 冬立つ風の 桂川

京都タワー 灯りて雪峰 見下ろしぬ

大文字 ゆたかな腿の 少女達

浴衣着て 夜がほんのり 橋の上

六斉や 親子孫へと 獅子頭

六斉の 獅子百姓の 足の裏

六斉を みにきて面に 見つめらる

マンションの 建つや名残の 花なずな

 

★ その後思うところあり再び、新しく家を購い求めました。

 現在のすまいは桂川の流れを東にし、南に名神高速道路、西に東海道線、新幹線、一七一号線道路が走っていますが、いずれも少し隔たっている為静けさを保っております。

  由緒深い京都の西山を一望したり、また、青々とした水田から夜ともなれば賑やかな蛙の交響曲がきこえてくるのも楽しみです。

 

いつか夫唱婦随となりて 年暮るる

木の葉髪 子の為わが為 家を購ふ

風邪引いて をれぬ引越し 飯握る

書いていて 蛙に覗かれそうな夜

過去は過去 ゆめは子にかけ 爪きざむ

此処が子の ふるさと箱に 葱植ゑて

灼熱の 線路の彼方 母が待つ

奥嵯峨は 故郷の匂い 山菖蒲

雪降って だんだん遠のく 父母のくに

雪降れり 夫は長距離運転手

たまご吸ふて 梅雨のさ中の 運転手

靴穿きし ままのひるねや 運転手

雪のせて 長距離トラック 夫(つま)帰る

無事帰り 裸で車 洗ひをり

更年期 曼珠紗華のやうには もう炎ゑぬ

夏の海 見にきてどっと 五十歳

刻惜しむ 五十代わが 出勤簿

 

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