6.「戦争を語り継ごう」メーリングリスト(ML)神戸オフ会(オフラインミーティング)

                                             2003.8.7 @ 神戸ポートタワー展望台より、神戸港を見ながら、戦時下の強制連行について説明を受ける・・・ガイド 飛田雄一さん(神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する                                               会事務局長、神戸学生青年センター館長)
A 戦没した船と海員の資料館見学

B 神戸華僑歴史博物館見学                   新谷陽子のページ         

 感想

 2003年8月。私にとって神戸への日帰り旅行(京都の南端から往復4時間!)はかなりハードスケジュールでしたが、初めて会う「戦争を語り継ごうメーリングリスト」の会員のみなさんと過ごせた半日は本当に充実した楽しい時間でした。参加人数が少なかったことは残念でしたが、体験世代から受け継ぐ世代まで和気あいあいとした、アットホームな集いになりました。

 ポートタワー展望室での飛田雄一さんのお話は、戦時中に強制連行で日本に来られて神戸港で酷使された中国人や朝鮮人たちの実態について、とてもわかりやすく説明いただき、またひとつ知らなかった戦争の真実を見た思いがしました。私はこれまで神戸といえば、異人館めぐりやポートアイランド、メリケンパークしか歩いたことがなく、明るく開放的なイメージが強かったのですが、そんな神戸港にも、閉ざされ続けてきた暗い戦争の傷跡を残していたのだと改めて知りました。
 当時の生存者を探し出したり、聞き取り調査を続けられた方々には、これまで並々ならぬご努力とご苦労があったと思います。でもその中心的活躍をされている飛田さんが、とても前向きで温かいお人柄なので、すごく救われる気持ちになりました。また、こういう地道な草の根活動もこんなに素晴らしい方がリーダーシップをとっておられれば見通し明るいなぁ・・と感じました。

  今回、戦没した船と海員の資料館を見学できたことも大変貴重な体験となりました。入館した時の、あの衝撃的な一瞬は忘れられません。そこには壁いっぱいに貼られた無数の沈没船の在りし日の写真と解説があり、その迫力に圧倒されました。写真一枚一枚に刻まれた戦死者の数と沈没の日時。軍艦群以外にあれほど多くの徴用船舶が容赦ない電撃と空爆で沈み、その中にいた人たちのほとんどが、なすすべもなく海の藻屑と消えていった。・・ここまで無謀だったあの戦争はいったい何のため、誰のためのものだったのか?本当にひどい戦争の真実を、一瞬にして見せ付けられた思いがしました。 

  展示された沈没船の解説の一例を以下に挙げます。

  対馬丸(日本郵船)6754総トン                                      昭和19年8月22日午後10時12分ごろ                                  南西諸島悪石島の北西6・7マイル付近                                   米潜水艦ボウフィンの雷撃により沈没                                    疎開学童      682名                                            一般疎開者     802名                                            船砲隊員       21名                                            本船乗組員     24名                                            計         1529名 死亡                                      

沖縄が間違いなく戦場になる、そう判断した政府は、昭和19年7月急遽沖縄県下の市や郡と国民学校長あてに『学童集団疎開準備』に関する通達を出して、本格的に内地への緊急疎開の実施を促した。対馬丸の遭難事件は、こうした状況下で発生した。昭和19年8月21日18時35分、疎開学童と付き添い人1661人を搭載した本船は那覇港を出港した。22日になると海上は台風接近の前ぶれでウネリが高くなってきた。その夜22時子供らが眠りに陥ったその時、本船の左舷80度方向から2発の魚雷が一・二番倉を食い破り、ついで20秒後今度は右舷方向から2弾の魚雷が五番と七番の船倉を破壊、船体は急激に傾き22時23分船首を高く天空に向けて沈没した。かくして多数の学童・付き添い人は脱出もできないまま船と運命を共にした。また辛うじて海上に逃れた者もシケ模様の海に翻弄され、救助船の遅延も重なって多くの犠牲者を出した。 

 このように沈没当時の状況が克明に記され、他にも、海に散った船員の家族との写真や遺書なども展示され、海底深く沈められた彼ら・彼女らのうめき声や無念な思いが、ひしひしと伝わってきて、胸が詰まりました。

 「戦争を語り継ごう」ML会員さんの中に戦時下に喪われた日本の商船というホームページを管理しておられる方がおられますが、まさにこの資料館のインターネット版と言えます。この資料館とともに、多くの人に訪ねてほしいサイトです。

  また、今回のML会員さんと見学をしながらいろいろお話をすることもできました。会員のお一人のUさんが最後に言っておられた次のような言葉は特に印象に残りました。

 「ほんまは今こうして生き残っているもんが、戦争体験を語ったってせいぜい7掛けぐらいしか語れないのや。このメーリングも天国の体験者から直接送られてきたら、一番ええのやけどなぁ。一番悲惨な体験をして苦しんで死んだもんが、ほんまは一番言い残したいことがあるはずなんやから・・」

 そして、それに答えて大学生のNさんがおしゃった言葉もとても印象的でした。
 「・・その7掛けのお話を私たちが語り継ぐときには、5掛けぐらいになってしまうかもしれないけど、5割でもその中の語り継ぐべき真実の部分はしっかり受け継いでいきたいと思います・・」

 帰り道で、なかなか神戸に出てこられない私に、「せっかく神戸まで来たんやから南京町は見ていかんとね」と、小雨の降る中濡れながら案内して下さったSさんの温かさい心配りにも、胸が熱くなりました。

 まさに今回のオフ会は、このMLの目的多世代間の「戦争を語り継ごう」の場になったと思います。

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