28.戦争展プレ企画〜アジア太平洋戦争70周年 平和講演会

                           主催:戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会

 @講演「シベリア抑留問題の今後」  講師:池田幸一さん

  A 講演「海軍兵士の戦争体験〜真珠湾、ミッドウェー、トラック島〜」

                        講師:瀧本邦慶さん

                          2011年 7月23日 於:京都社会福祉会館                            新谷陽子のページ

感想 

毎年立命館大学国際平和ミュージアムでは、「平和のための京都の戦争展」が開催されますが、2011年はそのプレ企画として「アジア太平洋戦争70周年平和講演会」が開かれ、私も聴きに行って来ました。

 講師の池田幸一さん、瀧本邦慶さんは共に母と同じ1921年生まれの90歳。戦争体験者がどんどん鬼籍に入ってゆかれる中、お二人ともかくしゃくとされ、パワフルに熱く語られました。しかもこの活動は何十年も継続されているとのこと。強く感銘を受けました。

 池田さんは、「シベリア立法推進会議」の世話人をされ、「戦争を語り継ごうML」の貴重な論客でもあります。彼は敗戦直前の「満州」で徴兵され、その後捕虜となり中央アジアの炭鉱に3年間抑留されました。お話はその抑留体験から始まり、何よりも辛かったのが「自由を奪われた」こと、抑留者の中では「早く帰りたい」「食べたい」一心で「密告」があった話などが印象に残りました。
でも、そこまでの話はいろいろな体験記からも窺えるのですが、彼の話の中心はその後からでした。

2011年6月、国会で「戦後強制抑留者特別措置法」(シベリア特措法)が成立し、政府は元抑留者の方々に特別給付金(僅かなものだったらしい)を支給しました。このことは、これまでの政府の姿勢を転換する動きで、僅かとは言え補償金的な意味合いを持つことで一定の前進があったようです。

でも、池田さんのお話から、この「シベリア特措法」が成立されるまでには並々ならぬご苦労があったことが推察できました。戦後の国としての後始末の酷さを追求し補償を求め、司法が駄目なら立法を動かすという池田さんたちの行動力には本当に頭が下がります。彼は、その過程を極めて理路整然と淡々と語られ、大変説得力がありました。

 戦争体験を語り継ぐこと。これだけでもいろいろなしがらみがあって大変なことなのに、池田さんは「戦後責任とその償い」というとてつもなく大きな課題に渾身の力で取り組まれ、ご本人が仰る通り、「パンドラの箱が、その重い蓋がようやく開かれた」という大きな成果をあげられたのです。心から敬服します。

また、瀧本さんは、17歳で海軍へ志願入隊され、そこで酷いいじめにあわれました。その後、飛行機の整備士として空母「飛龍」に乗り込み、真珠湾攻撃に参加。爆撃を受けた「飛龍」で機銃掃射を受け銃弾が右脇に食い込むという重傷を負いながらも脱出。その後はトラック島での飢餓地獄。レイテ島へ移動の予定が急きょ中止になったことで全滅から逃れられました。まさに九死に一生を得ての生還だったとのこと。リアルな実体験をお聴きし、生々しい当時の日本兵や日本軍の実態、情景が目に見えるようでした。さらには、「強烈な爆音」、「ひもじさ」、そして「匂い」や「皮膚感覚」まで、強く五感に訴えかけられるお話でした。

お二人とも自らの体験を踏まえて反戦平和の思いを語られているからこそ、私たちの胸に迫ってくるのだと思います。

 これからもお元気でご活躍いただきたいと願っています。


 
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