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<ごあいさつ>
2012年1月、母(井筒紀久枝)は91歳になりました。過酷な戦中戦後を生き抜いた母も、一昨年脳梗塞で倒れ一時は深刻な病状が続きましたが、4カ月あまりの入院療養を終え無事退院できました。今では何とか手すりを持って歩け気力だけは達者な母です。ほとんど臥せったままの状態でもの忘れも激しくなってきましたが、なんとか毎日数行の日記だけは続けています。
また、ここ数年心身ともに弱り口を開くのも億劫がっていた母が、昨年の「3.11」を機に少しずつ昔話を始めました。連日報じられていた東日本大震災の惨状から、戦後旧満州で体験した地獄のような避難生活を思い出したようです。当時母は零下の収容所生活の中で、ほとんど飲まず食わずの着た切雀だったそうですが、人々の並々ならぬ忍耐力と協力、そして俳句によって「生きる力」を得たと言います。今回は被災地の人々の再生・復興へ向けての底知れぬ力から、母はまた生きる気力を得たのかもしれません。
句集「望郷」でも掲載していますが、敗戦直後の旧満州を詠んだ母の句を少しご紹介します。
帝国が唯のにほんに暑き日に
月が出て死んでも胸に俘虜の文字
餓ゑし子に餓ゑゐて唐黍(きび)を嚙み食はす
酷寒や男装しても子を負ふて
防寒靴固く結んで殺されし
オンドルのしんしん冷えて生きており
盗みきし葱煮る鍋は鉄かぶと
眠る間も三寒四温靴のまま
子を売って小さき袋に黍満たし
みなし子に夕焼け満州国は亡し
母の戦争体験につきましては2004年、手記と俳句が岩波書店より岩波現代文庫版「大陸の花嫁」として出版されました。今でも時々お手紙やお電話をいただき大きな励みとなっています。
娘の私は、5年前、大阪俳句史研究会(柿衞文庫内)で、母の戦争体験と俳句についてお話をする機会を得たことを機に俳句を始めました。所属は田島和生主宰の「雉」で「即物具象」を基本とする俳句を学んでいます。俳号は母「紀久枝」の一字をもらって「亜紀」です。戦後旧満州からの地獄の逃避行や引き揚げ後の無一物の時に、母に生きる気力を与えたのが俳句だったと聞いています。そのような最も苦しい時期に母を支えた「俳句」を理解していくためにも勉強しようと思っています。
また大阪俳句史研究会とのご縁から、「戦争俳句」や「従軍俳句」を研究されている俳人の方々とも知遇を得ました。2008年に発足した「京大俳句を読む会」(代表西田もとつぐ氏)という研究グループにも入り、私は運営委員をさせていただいています。「京大俳句」というのは、戦時中の厳しい言論弾圧で太平洋戦争直前に86号で廃刊に追い込まれた俳句雑誌で、戦争の時代を真っ直ぐに見つめた若者たちが自由闊達に表現していました。私たちは「新興俳人の群像−京大俳句の光と影−」(田島和生著)を基本テキストとしてこの「京大俳句」の復刻版を1号から順番に読んでいます。
母と同じ戦争の時代を生き、とりわけ俳句を通して高いヒューマニズムを追究した当時の若い俳人たちの青春群像にとても惹かれます。「京大俳句」の掘り起こしは、戦時中の人々の人生観を知る貴重な研究になると思っています。ご興味のある方や研究されている方がおられましたらぜひご連絡ください。よろしくお願いします。
453room@v.balloon.ne.jp 2012年 4月
1日 新
谷
陽
子
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