敗 戦 三十五句

帝国が 唯のにほんに 暑き日に

北満に 八月の霜 麦いたまし

八月の 患らふ馬は 置きざりに

馬病みて 野に吹かれをり 枯蓬

暫らくは 馬を日除けにして母子

赤ん坊の 尻冷ゑてをり 蚤(のみ)跳びて

蚤虱(しらみ) 掃いても掃いても 泥の家

厩(うまや)出し ひもじき腹を ひとつずつ

俘虜(ふりょ)われら 餓ゑつつ稲の 穂は刈れぬ 

薯(いも)盗む 午后八時の陽 暮れやらず

薯もらふ 服の破れは 親しまれ

薯団子 正月の釜 賑はしめ

ひもじくて 寒さ凌ぎの 羊草(やんそう)刈り

羊草刈る 明日の分も 生きたくて

酷寒や 男装しても 子を負ふて

髪剪(き)って 歩哨凍冬(いてふゆ)の 男の装

銃なき歩哨 月にきらきら 霜柱

母は故国に 凍夜の狼煙(のろし)怖かりき

眠る間も 三寒四温 靴のまま

防寒靴 固く結んで 殺されし

殺されてから被せられし外套よ

枯野のノロ 逃げて子へ向き 撃たれけり

餓ゑし子に 餓ゑゐて唐黍(きび)を 噛み食はす

悴(かじか)む子 抱き温めゐて 餓きざす

 つのる吹雪 子の息ときどき 確かむる

オンドルの しんしん冷えて 生きてをり

地の底より 湧きし寒の気 子の息絶つ

餓ゑて死にし 子へくれなゐの 黍(きび)の穂を

蚤(のみ)虱(しらみ) じわじわうゑて 死にし子よ

穴掘って わが子埋めし 枯野かな

子が死んで 枯野は星が きらめけり

子が死んで 蚤に虱に 血を分かつ

凍土(いてつち)に 板一片の 子の墓よ

人埋めて 小高くなりし 枯野原

友を焼き 子を埋めし土 鬼薊(おにあざみ) 

 

 昭和二十年八月十七日。ようやく丹精こめて栽培した農作物の収穫期を迎えようとする頃、祖国の敗戦を知らされたのです。

  連日連夜、ソ連兵や中国人兵達が集落を襲ってきました。匪賊(ひぞく)も襲来しました。掠奪、暴行、虐殺。まさにこの世の地獄図絵そのものでした。

 

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