8.中国東北部(旧満州)慰霊の旅      2004年 8月 8日〜15日                           新谷陽子のページ

 感想

私は2004年夏、大学生の娘と「中国東北部(旧満州)慰霊の旅」に参加しました。「歴史と旅行のページ」http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/ を管理されている簔口さんの企画で、とても収穫の多い旅でした。旅行団は、戦時中北海道から満州開拓に行かれた元開拓団員を中心に結成され、ノンフィクション作家合田一道氏や北海道新聞の記者の方も同行され、行く先々で多くのことを学びました。  

旅行コースは、牡丹江やハルピン・撫順・瀋陽方面の開拓団・収容所跡地や戦跡(平頂山記念館・西露天鉱・撫順戦犯刑務所・731部隊陳列館・9.18記念館など)で、実際の体験者のお話を現地で聞ける、またとないチャンスにも恵まれました。

一方、予想外の大きな弊害が立ちはだかる困難な旅行でもありました。いきなり黒龍江省の公安局が私たちの旅行コースの一部を制限してきたことです。「慰霊」行為は一切許さないと、何日間も監視されることになったのです。日本人だけでなく亡くなった多くの中国人犠牲者に対しての「慰霊」の意味も含めていたのに、何故許されないのか理解できませんでした。

でも考えてみると、日本では敗戦記念日といっても、取り立てて国民上げては振り返り反省していません。政府首脳陣はあいかわらず靖国神社に参っています。そういう歴史認識の違いから、中国は国としてまだまだ日本を許していないのかもしれません。旅行中、私は中国のホテルでテレビを見ましたが、連日日中戦争を振り返る特集を組んでいました。満蒙開拓団の女たちがチャラチャラと着飾って(私の母も当時日本では許されていなかった羽織や着物を大陸では着て中国人女性に羨ましがられていたそうです。)大陸を渡ってきた(侵略して来た)当時の映像を流していました。先の戦争が、忌々しい日本の侵略戦争であったことを国民みんなが忘れないようしっかり意識付けしているのだと感じました。日本が中国に対していかに大きな傷跡を残したか、改めて考えさせられました。

コースの中には、当初満州開拓団の悲劇の中では最もひどい集団自決事件「麻山事件」の跡も訪問する予定でしたが、思わぬ公安の妨害により実現できませんでした。この事件については、私も以前中村雪子氏の著書「麻山事件」を読みましたが、終戦時のソ連軍参戦に伴う壮絶な集団自決の事実を知り、心を震わせました。この旅ではその凄惨な死の淵から生き残ってこられた鈴木幸子さんも同行され、貴重な体験談を聞かせていただきました。

訪問先で最も衝撃を受けたのが、平頂山事件の惨劇を後世に伝えようと建てられた「平頂山村殉難同胞遺骨館」でした。遺骨館では、長さ80メートルの「骨池」と呼ばれる場所に累々たる人骨がむごたらしく折り重なっています。旧日本軍に殺されたという3000人の中国人の遺骨です。そのうちの何百体がそのままの形で置かれ、私たちを無念な思いで見つめているように感じるのです。この光景を目の当りにしたら、きっとどんな予備知識よりも胸に迫ってくる歴史の真実を見ることができると思います。館を離れた後もずっと後ろめたく重い空気を引きずっていました。館長の平永春氏は、「年間の日本人来館者は約2000人。もっとたくさんの日本人に来てほしい」とおっしゃっていました。ぜひ1人でも多く訪ねていただきたいと思います。

西露天掘鉱の東西6キロにも渡る巨大な空洞は、かつての日本が、資源開発と称してここまで略奪の限りを尽くしたのかと、戦慄を覚えました。

また、本多勝一氏の「中国の旅」や森村誠一氏の「悪魔の飽食」の舞台でもある「731部隊罪証陳列館」も印象的に残りました。関東軍が証拠隠蔽のため爆破して焼け残ったというボイラー室を前にして、今回同行された81歳の女性が、つぶやくようにおっしゃった言葉が忘れられません。彼女は、戦時中暮らしていた旧満州の中国人村長が、731部隊に引っ張っていかれて人体実験にされたことを引き合いに出しながらおっしゃいました。

「中国人にとっては、日本によって傷つけられた傷口は、今でも癒えないんやろう。60年経ったぐらいでは、まだ生々しいのだろうね。慰霊が許されないのは、まだ日本は国家として謝罪の方法があるだろうと言いたいのやろう。この深い傷が癒えた時に、やっと歩み寄ることができるんだろうねぇ・・。これから若い人たちが語り継ぎ、お互い歩み寄る姿勢を作っていくしかないのやろねぇ・・。」

大半が焼け焦げ燻り、痛々しくさえ見えるボイラー室を前に、彼女のひと言ひと言が重く心に沁みました。また、日本を中国侵略へと導いたA級戦犯を英霊と讃える靖国神社に、政府首脳陣が参拝することが、中国の人たちの気持ちをどれだけ逆撫ですることかも納得できました。

道中には感動的な出来事もありました。今回のツアーは、娘を含めた若者の参加も多く、ハルビンで「体験者のお話を聴く会」を大学生たちが企画してくれたのです。思わぬ足止めを食らって滅入っている旅行団は大いに活気付けられました。次代の若者が戦争体験者から直接学べる貴重な体験にもなりました。

私の母も戦前、いわゆる「大陸の花嫁」として旧満州へ渡り、終戦・戦後の混乱に巻き込まれ、現地で生んだ赤ん坊とともに死線をさまよい引き揚げてきましたが、とりわけ、この敗戦時の開拓団の惨状は、この世の地獄を思わせます。いったん戦争に巻き込まれたら、普通の善良な一市民の人生がどれほど衝撃的に変化してしまうのか、開拓団生き残りの方々のお話はとても重く胸に迫ってきました。

今回の旅行を通じて、日中戦争当時の中国大陸でどれほどの残虐行為がなされたか、また終戦直後日本軍に見捨てられ、ソ連参戦後は集団自決や地獄絵そのものの収容所生活を強いられた満蒙開拓団の実態など、まだまだ語り継ぐべき戦争の真実があることを知りました。

戦争体験者の方々の生の声もたくさん録音してきました。開拓団の惨状の中でも最大の悲劇と言われた「麻山事件」の死の淵から生き残られた方や、ソ連の襲撃から九死に一生を得た女性。そして死の収容所から生還された元開拓団員のお話など、今後ご本人の承諾を得てご紹介していきたいと思います。

今回の旅行については、企画者簔口さんが下記HP上で実際の旅行記とともに、写真付で解説されています。ぜひお訪ねください。
http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/2004fushun1.html

 
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