ふるさと

 村のほとんどの人は、和紙製造に携わっている。俳句では、紙漉きは冬の季語になっているが、この村では、年間通しての仕事になっている。

 武生駅から南東へ向かって、昔は軽便鉄道が走っていたが、今はバスが通り、車道になっている。北陸高速道路も出来て、武生インターを下りて十分も行くと、眼前に山が迫ってくる。私の故郷は、その山の中へさらに進んで行かなければならない。田んぼは出来ず、紙漉きだけの暮らしなので、昔の飢饉の年や戦中戦後の食糧難のときは、木の実や木の芽、野草で飢えを凌いでいた。

 その昔、継体天皇が男大迹皇子(おおとのおうじ)として越前の国におられたころ、この山奥で生活に困っている村人の前へ、美しいお姫様が現れ、「この山から美しい水が湧き出ています。そして山には、楮(こうぞ)や三椏(ミツマタ)の木も生えています。これらを使って紙を漉きましょう。そうすれば村の暮らしも楽になるでしょう」

 と、自ら上衣(うわぎ)を脱いで、紙漉きを教えられたという。村人は、この素晴らしい技術を教えてくださったお姫様に、お名前を尋ねると、

「私は、この川上に住んでいる者です」

 と、答えられただけで、かき消すようにお姿を隠されたとか。以来、村では「川上御前」と崇め奉り、お祀りしている。

「川上様から習うた仕事、何でちゃかぽか、やめらりょか」

「神の授けを、そのまま継いで、親も子も漉く、孫も漉く」

  と、答えられただけで、かき消すようにお姿を隠されたとか。以来、村では「川上御前」と

崇め奉り、お祀りしている。

「川上様から習うた仕事、何でちゃかぽか、やめらりょか」

「神の授けを、そのまま継いで、親も子も漉く、孫も漉く」

  と、村人に歌い継がれ、紙漉きは続けられている。

 川上様のご神体は、高髷を結われた人形(ひとがた)で、山の頂上のお社にお祀りしてある。そこを「小峯」といい、その山を権現山という。そのご神体は三十三年に一度、麓の大滝神社へ下りて来られ、それを「お開帳」という。そのときは、全国から紙業関係の人が参拝に来られるので、村人は「和紙の元祖はわが村だ」と自負し、誇りにしている。私が知っているお開帳は昭和十五年、ちょうど紀元二千六百年の祝賀と重なり、大変な賑わいだった。

 毎年の初詣には、男も女も除夜の鐘を聞きながら、提灯や懐中電灯で足元を照らしながら、雪を踏みしめて小峯へ登る。そしてその年の紙の売れ行きを祈願し、女は紙漉きの上達を祈る。

 五月五日は「青山祭り」といって、小峯へ登り、お社の前の広場で下界を見下ろしながら、飲み食いに興じた。

 また、氏神様の大滝神社の春四月(今は、五月の青山祭りの日になったようである)と、秋十月の祭礼には、よそでは見られぬものがある。氏神様もふだんは、川上様と同じように小峯におわすので、宵宮にお迎えに行く。それを「お下(お)り」という。祭りは三日間で、三日目の夜を「お上がり」といって、小峯へお送りする。

 「お下り」と「お上がり」の前触れは、その年の当番になった二十人の役目である。その人たちは黒木綿の紋付きに角帯を締め、尻はしょりをして、素足に草鞋履き。幟を持つ人、太鼓を担ぐ人、それをたたく人、その人らが大きな声で「カヨーチョウノチョウ」と、唱えながら村中を練り歩く。それを聞くと、子どもたちはわくわくして、早くお宮さんの方へ行きたくなるのだった。

 春祭りは、青年団が総出で、足袋はだしに白丁を着て御輿を担ぎ、「ヨイサ、ホイサ」と、唱えながら町中を暴れ回る。その先導は青年団団長で、紋付きの羽織袴を着け白扇を携え、白い鼻緒の草履を履いて走る。それは、ひときわ観衆の眼を引いたものだった。

 神様をお送りするお上がりの夜は、村人は神社の境内に集まり、太鼓や笙の雅楽に乗って、神主さんが本殿から神輿へお移しする神様に、かしわ手を打ち続けながら拝む。先祓いの天狗を持つ人、神興を照らす高張り提灯を持つ人や神主さんに先導されて、白丁を着た人たちに担がれた神輿は、山を登って行く。後に続く男たちは、それぞれの家名と家紋の入った提灯を掲げて走る。

 秋祭りには、提灯ではなく、手作りの「松明(たいまつ)」を掲げ、火の粉を散らしながら登って行く。その年に生まれた子が男であれば、その子を追うて行く人もいた。

「ヤーユートー、ヨイサ、ホイサ」

   と、掛け声を四方の山にこだませながら、駆け登って行くさまは勇壮だった。

 女たちは、それを見送って家へ戻り、御神灯の下がっている玄関から、権現山を木の間がくれにちらちら登って行く灯(あかり)に手を合わせた。神様をお峰のお社にお納めした男たちは、「松坂」を歌いながら、ゆるやかに山から下りて来る。その行事は、3時間ほどで終わる。

 秋祭りには、その後に、神社の境内の大きな篝火を囲んで踊りの輪が立った。マイクなどなかったころ、声自慢の人の音頭の声が、こだまして村中に響いた。

 そうした祭りの間は、村の中心になる参道には、アセチレンガスの匂いを漂わせたいろいろな露店が並び、境内には見せ物小屋もかけられて否応なしに子ども心をかき立てた。

 こうして祭りに沸き、ふだんはきびしい紙漉きに挑んでいる村人の中にあって、わが家では、生業であった紙漉きをやめなければならなくなった。

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