隊員応召後の開拓団集落 十八句

 

征く夫(つま)の 背へ冬没日(ふゆいりひ)

 驢馬(ろば)の鈴

冬の曠野よ 生まるる子の父 みな兵隊

地平線 子連れの馬と 耕やしに

萌ゆる野に 繋がれており 種馬は

来てくれし 妹麦の 青かきわけ

弾弦や 月下故国の わらべ唄

凍てし土 片足ずつ上げ 鶏歩く

田を植えて 夕陽の赤き 興安嶺(こうあんれい)

水路決壊 足に冷たく 夜がきぬ

馬盗られ 真実零下の 身軽さよ

羊草(やんそう)刈る 四温の馬を 連れにして

大陸の 満月日本語で唄う

 

 昭和十九年二月頃から義勇隊にも召集令状がくるようになりました。夫も五月に応召し、身重な私を残して軍隊に入隊してしまいました。

  内地からはるばる手伝いに来てくれた妹や、集落の人達のお世話になって、八月、難産ながら女児を出産しました。

  昭和二十年五月頃には、開拓団集落には、男子隊員三名、女子十二名、それに八名の赤ん坊だけになってしまいました。

  女の腕で鶴嘴を振るい、畚(もっこ)をかつぎ、水路に橋をかけたり、広大な水田作りに励んだのです。

 

ホームへ

「望郷」目次へ

次ページへ