わが青春を捧げし北満の日々

 第2次世界大戦中から敗戦直後にかけての、満州移民の悲惨さについては、これまで、多くの著作、詩歌、マスメディアなど、いろいろなかたちで記録され、伝承されてきました。

 私も、かねてより貴重な青春を捧げた北満での体験を、ぜひとも記録として残しておきたいと思っていました。しかし引揚げ後、再婚、住宅難、育児難など多難な身の整理に追われ、さて、じっくりと昔の追憶に浸る心のゆとりができたと思った時には、既に三十余年の歳月が過ぎていたのです。

 私は、加藤楸邨先生主宰の俳句誌「寒雷」に属しており、昭和五十年一月号より思い出すままに、北満時代でのいろいろな体験をもとにした俳句を投稿してきました。そして、同年八月、故郷福井県の護国神社に、満州開拓者の碑が建立され、その慰霊祭に参加して、三十年振りに逢った友と、当時のことなど語り合いました。

 その時以来、あの北満時代を回顧し、それを俳句に表現することこそ、私にとってもっとも意義あることであり、否、これこそが私に与えられた使命であるとさえ考えるに至りました。作句意欲はいやが上にも高揚し、それからの毎日というもの、寝ても覚めても当時を追憶しての作句活動に専念しました。そして、これらの句が「寒雷」に百句採用された時点で、句集を作りたいと心ひそかに念願してきたわけです。

 一ヶ月に五句投句。締切日は遠慮会釈もなく迫ってきます。会社づとめと家事に追われ、夜更けてから向かう机の前で、あるときは悩み、ある時は苦しみながら投句を続けてきました。

 わずか十七音の中に、悲惨な満州体験を、少しでもありありと生々しく表現するように努力しました。「人間探求派」として知られる楸邨先生のご採点は厳しいものでしたが、それでも毎月二、三句は採用して下さり、ときにはご添削の上『寒雷』に載せて頂きました。

 そしてそれから三年。遂に、願望だった百句が出来たのです。

 今年は昭和五十二年。敗戦犠牲者の三十三回忌にも当るのです。

 ここにささやかながらも、この句集を出すことができましたのは、一に楸邨先生、そして、時に激励、時に助言して下さいました寒雷の諸先生方、並びに諸先輩のおかげです。

 ほんとうにありがとうございました。

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